まず全体的な感想
正直、拍子抜けした面がありました。取 り上げられている研究室のレベルが高い。つまり悩みのレベルが高いということ。話に上がった研究室は「研究室」の体をなしている。一方、僕が期待したの は、もっと低レベルな話。低レベルってのは言い方が悪いかもしれないけど、いわゆる「講座制」の研究室ではない、教員単独の研究室体制であるとか、院生の 存在が保証されない研究室であるとか、いわゆる「研究室」という形を維持することが非常に難しい状況とか、、、話の中で「中には目的を持っていない学生が いる」、、、という話題があって笑いが出ていましたが、目的を持っていない学生ばかりだったらどうするのか?など、、、、 ちょっと否定的なこと先に書い てしまいましたが、本プロジェクトの取組や本フォーラムを否定するわけではないので>関係者の方。研究室運用の問題っていろいろあると思いますんでね。以降に期待します。
さて、本フォーラムを通 して、いろいろ考えさせられたことを以下に書いていきます。
科学と日常と教育
最初の開会挨拶で、佐倉先生(東大)の 「科学と日常はどう違うか?」という話が非常に興味深かったですね。我々のいるアカデミック(研究)な世界というのは、一般とは違った評価軸を持ち、論文 を中心にした閉鎖的な世界(自己完結した自然科学の評価システム)であるということ。ただ、アカデミックな世界は日常の部分集合であるし、日常との接点の 機会が増えてきているので、日常を無視することはできない、、、という話をされてました。僕は、そこに「教育」の位置づけを重ねて考えてみました。下の図 は佐倉先生が書かれた図(簡略表記)に、教育という面を追記した図です(黄色の部分が僕の考え)。つまり、日常と研究をつなげる役割として教育が存在する のかなぁと、、、もう少しいうと、「学生」というのは日常の世界からやってきているわけですが、大学教員というのはこの図の真中に君臨しているわけで、当 然考え方が違う。教員は、学生を真ん中の世界に引き込もうとし、その手段として教育が存在すると、、、一方、’学生は日常的な感覚で物事を捉えようとする ので、教育に対しても日常の感覚で評価しようとする。このギャップが学生の授業に対する不満を生んでいるのかなぁという気がしました。教育というものを潤 滑油にして、学生をアカデミックな世界に引き込みつつ、研究過程においてうまく日常へと戻していくことが大切なのでしょう。今は、学生をいったん引き込ん だら、卒論・修論書くまで抜け出せないようなシステムになっている気がします。
図1 日常と科学と教育の関係
チー ムワークと個人能力
鈴木先生(東大)の話で「チームワークと個人能力」というのが取り上げられましたが、うちでは研究テーマを学生個別 に与えているので、チームワーク力については正直養われてないかなぁという気がしています。チームでやると必ずやらない学生が出てきますからね。という か、できる学生とできない学生とかで進度が変わってきて、結果的にできる人がどんどんやっていくということになりがちですから。まあ、できる人がどんどん やってくれるならいいのですが、「なんで自分だけ、いっぱいやらなければならないのか?」とか言われてしまったらお手上げです。まあ、チームワークは研究 テーマではなく、非研究活動を通して学ぶような場を提供していけばよいでしょうかね。
研究室の分類
岡本さん(東 大)の話で、アンケートを通して研究室のパターンを3つに分類をしたという話があり、これは興味深かった。その3つとは、
- 研究業 績追求型
- 個人成長志向型
- 不活発型
学生 をうまく参加させる
今回のフォーラムでは、グループワークを通して、研究室での教員、学生の役割についていろいろ情報交換をしたわけです が、学生を研究室にうまく巻き込むには、研究室内の様々なタスクに学生を参加させることが重要かなという印象でした。ただ、学生を参加させることで効率が 悪くなることもありうるわけで、正直、難しいですね。学生に完全に丸投げするというのは、院生が多く存在することが保証され、研究室の体をなしていればで きることだし。。。。
とりあえず、思うことをざっと書いてみました。本プロジェクトの動向はとても興味が有りますので、関西圏でもぜひイ ベントを、、、、
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